
2012年06月22日
平和集会
今日息子の通っている小学校で
平和集会がありました
保護者も参観できるので
行ってきました
全児童が体育館に集まって
静かに始まりました

沖縄戦当時幼稚園生くらいだった方が
当時のお話をして下さいました
低学年生にもわかるように
言葉選んでお話されていました
弾があたって、痛いよ~痛いよ~と言いながら
亡くなっていった人達
食べる物がなくて、お腹が空いたよ~と言いながら
亡くなっていった人達
子ども達が静かにお話を聞いていた時
外はどしゃ降りになっていて
突然の雷
近くに落ちたのでは?と思うほどの大きな音に
泣き出す子もいました
お話が終わると
各学年から選ばれた児童が
「さとうきび畑」を心を込めて
歌ってくれました

込み上げてくるものが
ありましたね
あちらこちらで
目頭を押さえるお母さん達
そして
低学年・中学年・高学年に分かれて
平和を願う歌を歌ってくれました

立っているのが2年生です
メガネ持っていかなかったから
どこにいるのか?分からないけど
この中に息子もいます
1年生と一緒に
「みんな仲良し」を
元気いっぱい歌っていました
向かい側には1年生

初めて平和集会の参加なのに
2時間騒ぐ子もいなくて
1年生もとてもお利口さんでしたよ
最後は6年生が
平和を願い
大きな声で
平和宣言をして

平和集会は終わりました
学校から帰ってきた息子が
真っ先に言った言葉が
お母さん明日一緒に
黙とうしようね~でした
私の親戚に沖縄戦で亡くなった人は
いませんが
旦那のお父さんの両親は沖縄戦で
亡くなっています
遺骨も見つからないままだそうです
平和集会がありました
保護者も参観できるので
行ってきました
全児童が体育館に集まって
静かに始まりました

沖縄戦当時幼稚園生くらいだった方が
当時のお話をして下さいました
低学年生にもわかるように
言葉選んでお話されていました
弾があたって、痛いよ~痛いよ~と言いながら
亡くなっていった人達
食べる物がなくて、お腹が空いたよ~と言いながら
亡くなっていった人達
子ども達が静かにお話を聞いていた時
外はどしゃ降りになっていて
突然の雷
近くに落ちたのでは?と思うほどの大きな音に
泣き出す子もいました
お話が終わると
各学年から選ばれた児童が
「さとうきび畑」を心を込めて
歌ってくれました

込み上げてくるものが
ありましたね
あちらこちらで
目頭を押さえるお母さん達
そして
低学年・中学年・高学年に分かれて
平和を願う歌を歌ってくれました

立っているのが2年生です
メガネ持っていかなかったから
どこにいるのか?分からないけど
この中に息子もいます
1年生と一緒に
「みんな仲良し」を
元気いっぱい歌っていました
向かい側には1年生

初めて平和集会の参加なのに
2時間騒ぐ子もいなくて
1年生もとてもお利口さんでしたよ
最後は6年生が
平和を願い
大きな声で
平和宣言をして

平和集会は終わりました
学校から帰ってきた息子が
真っ先に言った言葉が
お母さん明日一緒に
黙とうしようね~でした
私の親戚に沖縄戦で亡くなった人は
いませんが
旦那のお父さんの両親は沖縄戦で
亡くなっています
遺骨も見つからないままだそうです
Posted by つぶつぶ at 19:33│Comments(4)
この記事へのコメント
私も上間小学校卒業です。子供のころ、体育館で平和集会をやった気がします。
昔の人と比べたら今の私たちは本当に幸せですね。
長田や識名でも多くの人が亡くなったようです。ひめゆり部隊もここら辺を通って逃げたらしい。
慰霊の日が近づいてくると、その人たちのことに思いを馳せます。
そして生き残った人たちが頑張ったから今の沖縄があるんだなと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。
昔の人と比べたら今の私たちは本当に幸せですね。
長田や識名でも多くの人が亡くなったようです。ひめゆり部隊もここら辺を通って逃げたらしい。
慰霊の日が近づいてくると、その人たちのことに思いを馳せます。
そして生き残った人たちが頑張ったから今の沖縄があるんだなと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。
Posted by dede at 2012年06月22日 23:43
戦争のお話を聞くこともすくなくなりました。
母は疎開、父は13歳で名護にある三中から両親に兵士になる承諾書をもらいに行く途中戦火が強くなって行けなくなったそうですがお友達はなくなり昔から決まった日に平和記念公園に行っています。父曰く、教育ってこわいよ。といってました。
竹槍をえいえいと朝から練習させられたそうです。それで勝つと信じる教育をされたと言っていました。
那覇に住む祖母の妹は対馬丸でなくなったそうです。
そして母の弟も疎開する船の中亡くなったそうです。
この間なくなった叔母も看護婦で兵隊さんと一緒に行動させられて一度は死体の中に捨てられていたのをお友達が引っ張り出してくれて助けられたと聞きました。
でも叔母さん、父も戦争の話はあまりしません。
戦後もきっと大変だったんだろうなと思います。
普段はそういうことをすっかり忘れた生活をしています。
いつも思うということができない私にはこういった思い出す日というのは大切です。
母は疎開、父は13歳で名護にある三中から両親に兵士になる承諾書をもらいに行く途中戦火が強くなって行けなくなったそうですがお友達はなくなり昔から決まった日に平和記念公園に行っています。父曰く、教育ってこわいよ。といってました。
竹槍をえいえいと朝から練習させられたそうです。それで勝つと信じる教育をされたと言っていました。
那覇に住む祖母の妹は対馬丸でなくなったそうです。
そして母の弟も疎開する船の中亡くなったそうです。
この間なくなった叔母も看護婦で兵隊さんと一緒に行動させられて一度は死体の中に捨てられていたのをお友達が引っ張り出してくれて助けられたと聞きました。
でも叔母さん、父も戦争の話はあまりしません。
戦後もきっと大変だったんだろうなと思います。
普段はそういうことをすっかり忘れた生活をしています。
いつも思うということができない私にはこういった思い出す日というのは大切です。
Posted by nekosuke
at 2012年06月23日 01:46

dedeさんへ
お返事が遅くなってすみません。
戦争で奪われた多くの命。
やりきれないですね。
今の私達には想像すら出来ないこと。
普段の生活ではどうしても忘れがちになってしまうけれど、基地の問題を含めいろいろ考えないといけないですね。
お返事が遅くなってすみません。
戦争で奪われた多くの命。
やりきれないですね。
今の私達には想像すら出来ないこと。
普段の生活ではどうしても忘れがちになってしまうけれど、基地の問題を含めいろいろ考えないといけないですね。
Posted by つぶつぶ at 2012年06月26日 13:27
nekosukeさんへ
戦争が終わってから何年たっても、辛い体験をされた方の心の傷や痛みは消えない。
nekosukeさんのお父さんや叔母さんが当時の話をあまりしたくない気持ちも、今でも癒されない想いがあるんでしょうね。
辛いですね。
でもこうして大変な中お父さんが生きていてくれたから、nekosukeさんもいるんですよね。
命について考え、感謝の気持ちを忘れずに生きていかないとって思いますね。
戦争が終わってから何年たっても、辛い体験をされた方の心の傷や痛みは消えない。
nekosukeさんのお父さんや叔母さんが当時の話をあまりしたくない気持ちも、今でも癒されない想いがあるんでしょうね。
辛いですね。
でもこうして大変な中お父さんが生きていてくれたから、nekosukeさんもいるんですよね。
命について考え、感謝の気持ちを忘れずに生きていかないとって思いますね。
Posted by つぶつぶ at 2012年06月26日 13:46